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月刊 経団連 “普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う

JOINnovator! ─DE&Iを楽しむイノベーターたち
松田 崇弥
ヘラルボニー社長
Takaya Matsuda
小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。
4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、双子の松田文登と共にヘラルボニーを設立。 「異彩を、放て。」をミッションに掲げる福祉実験ユニットを通じて、福祉領域のアップデートに挑む。
ヘラルボニーのクリエイティブを統括。東京都在住。双子の弟。Forbes JAPAN世界を変える30歳未満の30人「30 UNDER 30 JAPAN 2019」受賞。
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当社は、知的障害のある作家さんとライセンス契約を結び、アート作品を軸に様々な形でブランド展開やまちづくりに参加しています。優れた作品を適切な形で世の中に送り出し、知的障害のイメージを変えようとチャレンジしている会社です。

違いを愛する

多様性とは「違いを愛すること」だと捉えています。違いを理解することも大事ですが、これからの時代には、違いそのものを愛することが主流になるのではないでしょうか。

私たちは、ウォルト・ディズニー・ジャパンとともに「Love Difference.」というテーマのもと、共同プロジェクトを始めました。当社のアート作品でミッキーマウスなどのディズニーキャラクターを彩るという企画です。一方、阪急うめだ本店で開催した「ヘラルボニーアートコレクション」では、作品の展示にとどまらず、会場の中央でライブペインティングを行ってみました。百貨店でにぎやかなイベントを展開するのは冒険であり、挑戦でしたが、「今描き終わりました」と作家さん本人がマイクで叫ぶなど、臨場感がありました。「面白いよね」「素敵だね」と、作品を手に取ってくれる方がたくさんいました。

素晴らしいアートをシンプルに世に出したい

私がこの事業を始めたきっかけは、25歳の頃に岩手の「るんびにい美術館」を訪れたことです。岩手県花巻市にある美術館で、障害のある作家さんの作品を数多く展示しているのが特色です。私の実家が同じく岩手にあり、帰省した際に母に誘われて行きました。私の4歳上の兄が知的障害を伴う自閉症患者ということもあり、母は以前から障害者福祉に積極的でした。この美術館で初めて知的障害のある作家さんたちの作品を見て、強烈に感動しました。ところが調べてみると、美術館で観たような優れた作品であっても、例年、国の定めた障害者週間にあわせて公共施設の一角で型どおりに展示されているだけであったり、道の駅で安価に販売されていたり、という状況でした。障害者支援だから、障害者アートだから、といった位置付けでは、アートとしてあまりにもったいないと感じました。素晴らしい作品は素晴らしい形、素晴らしい状態で世に出てもよいのではないか。そうしたことにシンプルに取り組む会社ができれば、と思い立ったのです。

資本主義経済の中でアートビジネスとして成立させる

その後、2018年にヘラルボニーを創業しましたが、最初の1年は事業説明のため企業訪問をしても会議室にたどり着くことはできませんでした。ビジネスではなくチャリティーととられやすく、受付の前で「説明をお聞きするのは5分でいいですか。無料なら考えますよ」と言われたこともあります。そうした中、事業を成り立たせ、経済と結び付けていくのであれば、リスクを背負って世界観を作り込まなければいけないと気付きました。ヘラルボニーとしてのブランドビジネス案をしっかり考えて、キービジュアルをきれいに美しく撮影し、アート作品が持つ世界観を前面に打ち出すようにしました。

当初は会社を大きくしようという気はありませんでした。滑り出しはうまくいきませんでしたが、資本主義経済の中で、知的障害のある作家が認められる状態やビジネスモデルを本気で作り出そうと、事業拡大へ舵を切りました。大きな決断でした。融資や投資を受けるからには、達成すべき数値目標を立て、この先10年、20年も視野に入れて経営を考える責任があります。

自分も会社も謙虚であれ

私が一番大切にしているのは、謙虚であることです。新卒で入社して仕事がきつかった時代に、小山薫堂さんから新年挨拶のメールで、「誰よりも謙虚な人でありなさい。そうすればたくさんの人が知恵や情報を授けてくれますよ」という言葉をいただきました。自分の中で今もお守りにしている言葉であり、自分たちの会社も謙虚でありたいと思います。

当社は、「自分が主役だ」というバリューを掲げています。当社が人材募集を行うと、社会のために何か役に立ちたいという方からの応募がよくあります。けれども、役に立ちたいという志望動機には限界があると思うのです。結局は、自分が成し遂げたいことか、やりたいことかどうかが、非常に大切だと思います。

「作家ファースト」も、当社が掲げている理念です。これは様々な意思決定をするときに大きな指標になっています。「クリエイティブにはみ出そう」も同様です。美しい作品を美しいまま人々に届けることが何よりも大切な命題です。そのため、そう思ったときはクリエイティブにはみ出していく。そうしたことを大事にしていきたいです。

地元岩手で事業を展開し熱狂をつくりたい

東京で起業した後、岩手にフォーカスして展開したいという思いから、盛岡に本社を置きました。岩手には大きなこだわりがあります。るんびにい美術館があり、一緒に会社をやっている私の双子の兄が暮らしているからです。私は東京、兄は岩手という二拠点の会社です。

これから10年も100年も持続する会社になりたい、岩手で続けていきたい、と思っています。百貨店もギャラリーも、1店舗目は岩手です。2022年10月にMAZARIUMという当社のアートを満載にしたホテルをオープンしましたが、それも盛岡から始めました。東京でビジネスを進めたほうが売り上げが見込めるのは分かっています。しかし目先の売り上げ以上に、地元の熱狂をつくり、大事にしていくことが当社に求められているのではないかと思うのです。もちろん、岩手が好きだからというのも大きな理由です。

作家に事業化のプロセスを見せていく

作品は、そのまま展示・販売することもありますし、ネクタイのデザインに使われたり、駅舎にラッピングされたりするなど、いろいろな形で展開しています。以前に1度、商品として結果的にこうなりましたと作家さんにお見せした際、作家さんがどうやらあまりピンときていないということがありました。

そのときから、事業化のプロセス自体も作家さんにきちんと見せていこうという方針にしました。私たちは、作家さん、福祉施設、親御さんの三者と、プロセスを確認したうえで事業化をしています。著作権を買い取ってすべて当社で管理する道もありましたが、作家さんたちとの信頼関係を強固にしていくには、今の手順が一番合っています。

創業当初、私はよく手紙を書いていました。手紙を書いてアポイントメントを取り付けて、でもチャリティーと思われ、全然話が進まないことの連続でした。それでも私が折れなかったのは、目指すビジョンを話した時に、福祉施設の方や作家さんが「素敵です、ぜひ実現してほしい」と、心の底から応援してくれたからです。社会的ニーズがあるかはまだ分からないが、福祉業界からのニーズはしっかりあるという手応え、そして自分のビジネスプランは間違っていないという大きな自負があったからこそ、路線変更をせずにやり切れたのでしょう。

「異彩を、放て。」

DE&Iは、言い換えるなら「異彩」ではないでしょうか。ヘラルボニーでは「異彩を、放て。」というミッションを掲げており、「“普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。」という言葉が続いています。DE&Iやサステナビリティといった大きな時代潮流に乗らせてもらっていることを重々承知しているビジネスです。これからはそういう考え方が当たり前になる時代です。

これから先は、もっと障害者福祉全体のインフラを担うようなビジネスを広げたいと思っています。障害のある人の居場所が福祉施設に限定されないこと、普通に都市で生活できるようなインフラづくりを行いたいと思っています。障害のある兄と一緒の時には、母も私もショッピングセンターやカジュアルなファミリーレストランには行きましたが、百貨店や高級レストランには足を運びませんでした。例えば都心にヘラルボニーカフェがあって、障害のある人たちが当たり前に働いてコミュニケーションをとっている。銀座や六本木のような都心の一等地で、それを実現させたいと思っています。

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